平和のためのヒロシマ通訳者グループ (HIP) の活動が、2009年12月2日、朝日新聞広島版で紹介されました。記事は「『平和』を通訳25年」と題されています。以下、朝日新聞からの転載です。
「被爆地・広島を訪れる外国人たちを英語で案内してきた市民団体「平和のためのヒロシマ通訳者グループ」(HIP)が今月、創立25周年を迎えた。冷戦期の1984年暮れ、被爆地の思いを正確に伝えようと、市民約20人が結集したのがはじまり。手作りの事典やガイドブック刊行を重ね、近年は市民ガイド養成にまで活動の幅を広げている」
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平和を考える 【ピース@ヒロシマ】
「平和」を通訳25年
2009年12月02日
■世界へ思いよ伝われ
被爆地・広島を訪れる外国人たちを英語で案内してきた市民団体「平和のためのヒロシマ通訳者グループ」(HIP)が今月、創立25周年を迎えた。冷戦期の1984年暮れ、被爆地の思いを正確に伝えようと、市民約20人が結集したのがはじまり。手作りの事典やガイドブック刊行を重ね、近年は市民ガイド養成にまで活動の幅を広げている。(加戸靖史)
「国際交流・協力の日」の11月15日、広島国際会議場(広島市中区)の一室で、HIPの市民向け講座「ひろしまを英語でガイド」が幕を開けた。広島平和文化センターが国際交流・協力の日を定めた00年から続いており、今年で10回目になる。
「ガイドには、『三つのH』が大切です」。HIP代表の小倉桂子さん(72)=広島市中区=が参加者に語りかけた。広島(Hiroshima)、心(Heart)、健康(Health)。「広島を愛し、心を込めて案内すること。それには健康でないと」。どこかユーモアがにじむ小倉さんの言葉に、参加者の緊張が一気にほぐれた。
HIPの会員は現在約90人。20代の学生から80代の定年退職者まで顔ぶれは幅広い。外国人の団体客を中心に年間20件程度のボランティアガイドを務める一方、毎月1回、被爆者や平和団体のリーダーらを講師に招く勉強会を重ねる。事務局長の山田順二さん(47)=広島市西区=は「一人ひとりが広島を伝える『語り部』になることを目指しています」と話す。
8歳で被爆した小倉さんがHIPを結成したのは被爆40周年を翌年に控えた84年暮れだった。夫で元平和記念資料館長の馨さんは堪能な英語を生かし、海外を駆け回った。夫が79年に急逝した後も広島訪問を希望する海外のジャーナリストらからの通訳・取材協力依頼は増え続けていた。
「一人ではとうてい無理。志を同じくする多くの人と一緒に広島の思いを伝えたい」という小倉さんの呼びかけに、当時学生だった山田さんら約20人が集まった。
まず手がけたのは基礎資料になる「ヒロシマ事典」の刊行。小倉さんは「ワープロもパソコンもない時代。みんなで泊まり込んで編集作業をしたものです」と懐かしむ。85年に刊行。原爆や平和、広島に関する約1千項目をまとめた和英の事典は当時例がなく、大反響を呼んだ。
新たな仲間も増えてきた。原爆で父と弟を亡くし、自らも被爆した府中町の平井昭三さん(80)もその一人。「ぼけ防止に」と70歳を過ぎてから始めた地元の英会話教室でカナダ人講師に「被爆者なら、ぜひ外国人に体験を語るべきだ」と勧められた。
平和記念公園で初めて自らの体験を語った05年8月、たどたどしい英語にもかかわらず、外国人の輪ができ、語り終えると握手を求められ、肩をたたかれた。講師の紹介でその後HIPに入り、今年8月6日も多くの外国人を前に証言した。「活動を通じ、真実を伝えることの大切さを知った。人生が残り少ない自分が少しでも役立てば」と平井さんは力を込める。
HIPのホームページはhttp://www.hipj.org/。問い合わせはメール(hipstaff@hipj.org)で。